しごと考
仕事について考えることを、
ごまかさず見つめる。
誰でも、仕事について考えています。
通勤電車で、帰り道で、布団の中で。「このままでいいのかな」「なんでこんなに疲れるんだろう」「あの人はなぜ楽しそうに見えるのか」。
その考えを、そのまま流してしまうのではなく、ちゃんと見つめてみる。それが、私の言う「しごと考(こう)」です。
言葉の意味
皆が大なり小なりやっている「仕事について考えること」を、ごまかさず見つめ、理解と視野を広げ、参考として差し出す営み。
「〜考」は、一つのことをじっくり考えた記録につける、古い言葉です。気取らず、でもいい加減にしない。そういう態度を表したくて、この字を選びました。
モヤってから、始める
しごと考は、いつも「モヤり」から始まります。
立派な問題意識でなくていい。ちょっとしたひっかかり、なんとなくの違和感。それを、なぜモヤったのかと辿っていく。そして、そのモヤりに名前をつけてくれる理論を探し、自分が納得できる理屈を探していく。
その結末は、ひとつではありません。
「引きずる」も、立派な結末です。考えても納得に至らないことは、いくらでもある。その「うまくいかなかった」記録こそ、一番誰かの役に立つと思っています。
教えるのではなく、置いていく
しごと考の主語は、読んでいるあなたです。私は、答えを渡す人ではなく、材料を出す人。
一人ひとり、仕事も、性格も、事情も違う。だから「こうすべき」とは言えません。できるのは、「私の場合はこうだった」と記録して、一つの参考として隣に置いておくことだけ。
取るか取らないかは、あなたが決める。それが、しごと考という営みの距離感です。